佐賀地方裁判所 昭和23年(行)10号 判決 1948年11月01日
原告
中島〓磨
被告
佐賀縣農地委員会
主文
本件訴は之を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
請求の趣旨
一被告が昭和二十三年三月三十日原告に対し爲した訴願棄却の裁決は之を取消す。二被告は原告が別紙第一物件目録記載の農地を訴外中島七雄に、別紙第二物件目録記載の農地を訴外中島幸太郞に、夫々所有権を移轉するに付て認可せよ、三訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、訴外北山村農地委員会は昭和二十二年十月四日自作農創設特別措置法に基き別紙第一第二物件目録記載の各農地は原告の所有なりとし且原告は不在地主であるから之を買收する旨の農地買收計画をしたので、原告は之に対し同年同月十三日異議の申立をしたところ同委員会は原告の申立を容れずその頃右農地を買收する旨の決定をしたそこで原告は右決定を不服として同年同月二十七日被告に訴願をしたところ被告は昭和二十三年三月三十日右訴願を棄却する旨の裁決をした。然しながら原告は不在地主ではないし又右農地は原告より既に訴外中島七雄及び中島幸太郞に所有権を讓渡している。即ち原告は八幡市に於て医師を開業していたが昭和二十年八月八日の空襲で住宅兼医院が燒失したので同月十日移動の手続を完了して郷里である佐賀縣小城郡北山村中原に引揚げ爾後同所を住居として今日に及んでいる。尤も原告は軍の徴用で一時已むなく日立市にいたことはあるが日立市は当事原告の住所ではなかつたのである。又原告は昭和十八年四月二十二日先代新之助の死亡に因りその家督を相続し本件農地を含む先代の財産を承継したがその後兄弟間に遺産分配に付て紛爭が起り佐賀区裁判所昭和二十二年(人調)第二〇号財産分配調停事件に於て同年十二月十三日に別紙第一物件目録記載の農地を訴外中島七雄に同年十一月二十六日に別紙第二物件目録記載の農地を訴外中島幸太郞に夫々所有権の移轉をする旨の調停が成立した。從つて北山村農地委員会が本件農地に付原告を不在地主として買收を決定したのは不当であり被告が右決定を維持し原告の訴願を棄却した裁決は不法な処分であるからその取消を求めると共に被告は原告から別紙第一目録記載の農地を訴外中島七雄に、別紙第二目録記載の農地を訴外中島幸太郞に夫々所有権を移轉するに付認可するよう処分の変更を求める爲本訴に及ぶと陳述し原告が被告の訴願棄却の処分を知つたのは昭和二十三年五月末日であると附演し立証として甲第一号証の一、二第二、第三号証を提出し証人中島スミエ同岩井俊雄の各証言を援用し乙第一号証の成立を認めた。
被告指定代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」旨の判決を求め答辯として原告主張事實中北山村農地委員会が原告主張の日主張のような農地買收の公告並に買收の決定をなし之に対し原告より主張の日被告に対し訴願を申立て被告は昭和二十三年三月三十日右訴願を棄却する旨の裁決をしたことは之を認める。右訴願棄却の裁決書は被告より北山村農地委員会を経由して昭和二十三年五月十七日被告に交付しているから原告は同日被告の右処分を知つた筈である。右訴願棄却の裁決は原告主張のように違法なものではない。原告は以前八幡市に於て医院を開業していたが昭和十九年五月頃軍部の依賴で当時の小倉造兵廠に勤務しその後大分縣日田市及び福岡縣久留米市に住居を移轉していて昭和二十年十一月二十三日当時原告主張の北山村に住所を設定していない。尤も原告は昭和二十年八月頃戰災を受け家族を右北山村に疎開させたことは被告も之を認めるが原告自身はなお前記小倉造兵廠に勤務していて原告が北山村に住所を移したのは昭和二十一年十月である。又原告主張の農地がそれぞれ訴外中島七雄及び中島幸太郞に分割讓渡する旨の調停が成立したことは爭はないが右調停は農地遡及買收の基準である昭和二十年十一月二十三日以後に成立したものであるし前記北山村農地委員会の買收決定当時はまだ縣知事の許可がないからその所有権移轉の効力は生じていない從つて北山村農地委員会の買收決定は適法である又原告主張の農地の所有権移轉についての許可は縣知事の権限であつて被告にはその権限がないのであるから被告に対してその許可を求めることは失当である。原告その余の主張事実は之を爭う。被告の前記裁決は適法であるから原告の請求に應ずることはできないと陳述し立証として乙第一号証を提出し甲号各証の成立を認めた。
理由
原告は本件農地に対する訴外北山村農地委員会の自作農創設特別措置法に基く農地買收決定に対し昭和二十二年十月十三日被告佐賀縣農地委員会に訴願を申立てたところ被告は昭和二十三年三月三十日右訴願を棄却したのでその裁決の取消並に変更を求めるものであつて右の事実は当事者間に爭のないところである。
自作農創設特別措置法第四十七條の二に依れば同法に依る行政廳の処分で違法なものの取消又は変更を求める訴は当事者がその處分のあつたことを知つた日から一箇月以内にこれを提起しなければならないところ成立に爭のない甲第一号証の一、二及び乙第一号証に依れば被告の前記訴願棄却の裁決書は北山村農地委員会を経由して昭和二十三年五月十七日同村農地委員会書記麻〓古誠介より原告に交付されたこと。從つて原告は同日右訴願却下の処分を知つたことを各認定するに十分である。而して本件訴状に押捺された当裁判所の訴状受理日附印に依れば本訴は昭和二十三年六月二十五日に提起されたことが明白である。仍て本件訴は右出訴期間経過後になされたもので不適法な訴であるから之を却下すべきものである。
(尚原告は本訴に於て原告が別紙第一物件目録記載の農地を訴外中島七雄に第二物件目録記載の農地を訴外中島幸太郞に夫々所有権を讓渡するに付て被告に対し許可せよと訴求しているが農地所有権の移轉に対する許可は縣知事の権限であつて被告にこの権限がないことは農地調整法第四條農地調整法施行令第二條農地調整法施行規則第六條第七條等によつて明かであるのみならず右許可については未だ縣知事の処分がないことは原告の訴旨及び本件口頭弁論の全趣旨に徴して推認せられるところであるから結局行政訴訟に於て変更を求める對象となるべき処分がないといふことになるし又行政訴訟に於ける「行政処分の取消又は変更」とあるうちのいわゆる「変更」は新たな行政処分ではなく一部取消をいうものと解すべきであつて新たな行政処分を命ずること即ち行政廳に対し積極的にその意思表示を求める訴は提起することができないものと解するのが正当である)
以上の理由に依り原告の本訴は爾餘の點に付判斷を爲す迄もなく不適法として之を却下し訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。